副院長紹介

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副院長(歯科医師):佐藤 倫奈

副院長:佐藤 倫奈
略歴 平成6年
日本大学松戸歯学部卒業
浦和市(現さいたま市)トモデンタルクリニック

平成10年8月
ヒデ歯科クリニック開業
  • 証書

倫奈!誕生の巻

生まれた頃の写真 タンポポの黄色い花があちらこちらで見られる頃、埼玉にある祖父母の経営していた病院で私は生まれました。

産婦人科医の父にとりあげられたそうです。
母の話によると相当な難産で、それはそれは身内を心配させて、母自身も体力的、精神的にグッタリだったそうです。

当時はベビーブーム真っ盛りで埼玉の上福岡市で産婦人科を開業していた父は、毎日のように患者さんのお子様達の「命名」で頭を悩ませていて私の名前は考える暇も無く、結局、朝日新聞の日曜版にたまたま載っていた外国の地名(フィンランドのヘメンリンナ地方)から名付けたそうです。

これが倫奈の誕生です♪

幼少 小学生のころ

幼少期 父の医院で栄養士の資格を持っていた母は、毎日毎日入院患者さんとスタッフの方々に献立をつくり、受付業務も手伝っていました。

なので私は殆ど、祖父母の家に預けられる日々でした。
しかも、祖父母共に医師として仕事をしていましたから、私は当時、祖父母の自宅にいたお手伝いさんと生活する毎日だったのを覚えています。

お腹が空けば大好きなラーメンとカルピスのおやつが出てきます!カルピスも原液に氷を浮かべてカランカランッとストローで音をたてて飲むことが大好きでした。だから、この当時の写真を見ると全て「真っ黒前歯」の笑顔です!

幼少期 でも、この頃は同じようなお口の子供が多かったと思います。今ほど世の中も予防に力を入れていなかったのか、歯医者さんも虫歯を治すことに必死だったのではないかと思われます。

当然、私はこんなお口の状態だったので歯医者さんが大嫌い!!でした。

実は、一度、とある歯医者さんで四人のスタッフに押さえつけられて治療された恐怖がトラウマになり、それ以来、苦手で歯医者に行くとなると毎度腕が脱臼してしまうぐらい暴れて嫌がっていた様です。

私の幼少時代の写真は『泣きっ面にお歯黒』ばかりです!

小学生 幼少時代は祖父母宅のお手伝いさんに甘やかされる毎日でしたが、小学校にあがると急にスパルタな母親との試練の日々が始まりました。

小1の頃、弟が産まれたことにより、”お手伝い”(弟の面倒+お風呂掃除)をしないと夕食無し!というルールができました。

弟のオムツ交換や遊び相手は楽しかったけれど、夕方5時の市役所の放送が鳴ると、それは”お風呂掃除の時間”であり、急いで公園から帰宅したものでした。

母の躾はとにかく厳しかったですが、年々歳を重ねるごとに有り難く感じます。

小学生 一方、父はと言いますと、多忙な毎日で入院患者さんがいる以上どこに行っても、常に”ポケベル”で呼び出される為、外食すらまともに家族皆でゆったりととることはありませんでしたが、私には当たり前の事でしたから不満に思うことはありませんでした。

これといった思い出もありませんが、父の存在はとても大きかったです。きっと母の教育方針が『我が家の大黒柱は父親であり、父親の言うことは絶対である』だったからでしょう。私も今、小学校4年生の娘にこの教育方針を伝えています。

中学 高校時代

中学生 中学生になると私も反抗期を迎え、かなり わかりやすく態度に現れていた様です。

意気地無しで弱い心の持ち主の私は中途半端なグレ方をしていました。

通学途中のコンビニに寄り、買い食いしたり、授業を抜け出して他のクラスに潜り込んだり……!!!

一番の思い出は、プールをサボって制服のまま教室で遊んでいたら、いきなり体育教師に見つかりそのままプールに突き落とされ、更にずぶ濡れのまま職員室前の廊下で正座させられました。

高校生 ハチャメチャな中学時代を終えて女子高へ進学し、3年間、無遅刻&無欠席の”皆勤賞”をいただいたぐらい毎日充実した楽しい「自分形成・急成長」の時期でした。

少しながらも将来の自分像が明確になってきた頃です。友人との交流も一番幅広く影響を受けた時期で、今でも親しく文句の言い合える友人はこの時代からのお付き合いです。

とにかく、休日も学校に行きたくてウズウズしていた事をよく覚えています。
部活も生物部でしたが、アフリカツメガエルの成長記録などを毎日、電子顕微鏡を覗きながらエンピツ片手にケント紙に点状に細胞分裂の様子を描いていました。

高校生 また、小学校3年生から習っていた日本舞踊の名取試験に合格し、”坂東伎奈親(ばんどう☆きなちか)”の芸名をいただいたのもこの時期でした。

この頃の私は、芸能人か臨床検査技師になりたいと友人達には話していましたが、両親や担任教師からはことごとく反対され『今すぐ学校を辞めてしまえ!!!』と頭ごなしに否定され、人生で初めて『ガァーン!』ときたのを覚えています。

そんな落ち込んだ時期に明るいチャンスを与えてくれたのが、当時、歯科大の矯正の医局に残っていた叔母でした。滅多に会えない叔母でしたが、会う度に楽しい仕事の話をしてくれて、私の「歯科」への興味が湧いてきました!

そして、今の私が出来上がるキッカケとなりました。

大学時代

大学時代 日大の付属高校だった為、スムーズに日大松戸歯学部へ入りましたが、入ってからの校風にショックを受けたことを今でも忘れません。

初めて世の中の”大人の社会”を目の当たりにして少し不安になったのを覚えています。

大学時代 今まで自分100%オープン!!だった私が一挙に20%ぐらいになってしまいました。

色々ありましたが、最終的には主人と出会うことになり、明るい未来を切り開いていく結果となりました♪

勤務医デビュー

勤務医デビュー 大学卒業後、国家試験に合格し、いよいよリンナ先生が勤務医デビューしたのは北浦和の開業医でした。出勤してみると、チーフ的存在の助手スタッフが私の教育係となり、初日からお昼休みに正座でお叱りを受けたことを今でも覚えています。

今思えばきっとチーフは「最初が肝心!」と思って厳しく私に指導して下さったのだと理解できます。今、私がこんなにも歯医者という仕事に誇りを持ち、楽しく毎日過ごせるのはこのチーフのお蔭であると感謝の気持ちでイッパイです!

勤務医の5年目に結婚し、その1年後には開業という目標設定をして計画通りに二人で毎日、それぞれが動き出しました。

結婚 私は開業準備期間が必要である事を当時の院長に伝え、開業する1年前頃から非常勤として勤務して、少しでも開業資金をためました。

未だにスーパーでの買い物は赤札!半額シールを見逃しません!!!

開業資金も「歯科」というだけで銀行も困った顔で話を聞いては下さいましたが、返答があったのは1、2ヶ所だけでした。世の中の本当の厳しさをここで痛感しました。

でも『負けないぞ!』とふたりの心の中で火がつきました!

ヒデ歯科クリニックの開業

ヒデ歯科クリニックのロゴ 平成10年8月3日のオープンから16年……開業当初は主人と私、受付さんの3人で始めました。朝の準備、帰りの掃除を済ませてpm10:00頃に帰宅し夕飯をとる毎日をどれくらい続けたでしょうか…?!!

今では懐かしい思い出です。
こんな毎日でしたから二人の間で新たなる目標設定をしました。5年間で軌道にのせ、家を購入しいったん安定したところで子供をつくろう!と。

A型の二人は確実に目標をクリアして子供もタイミングよく出産したものの、私は要領が悪いため「子育て」と「仕事」の両立がうまくいかない時もしばしば……。

ヒデ歯科クリニックのスタッフ 今も毎日が障害物競争デス!!
でも楽しんでます!

私がこんなに前向きに考えられるのは、私を普段から心強く支えてくれる心優しいスタッフと家族が、いつでも温かく手を差しのべてくれるからです☆

これからもまだまだ私の楽しい人生が続いていきます。

患者様に少しでも知っていただきたく、長文となってしまいました。
お読みいただきありがとうございます。
ぜひ当院にお越しいただき、お話できると良いですね!
ご来院をお待ちしております。

副院長・歯科医師:佐藤 倫奈